実家の土地建物を相続しようとした時の実体験

これは私が実家の土地建物を相続しようとした時の実際の体験です。
私の実家は私が物心ついた頃から色んな出来事があり近所からも村八分にされるほど、問題だらけの家で私は育ちました。
祖父はアル中、父は愛人と蒸発、母は精神障害者、無論みんな自分の事に必死で私の面倒を見てくれる人などいませんでした。
毎日が生き地獄でしたが、中学卒業まではどうにもならないので卒業までひたすら我慢&貯金をして、中学卒業の15才でこの実家を出ました。
もちろん二度と戻らないつもりで。
それから月日は23年も経っていました。私は都会に住んでいたので、田舎の実家や母の事など15才の実家を出た時からこの時までは。
当然、私も自分の生活を仕事やらパートナーやら住居等、全てのベースを都会の地に築いて安泰に暮らしていたのですが、ある日、突然携帯に見知らぬ番号から着信があり出てみるとなんと母方の祖母からでした。
正直、この時話をしたのが34年ぶりというのもあり、最初は訳が分からず話をしていましたが電話の内容は、自分達がもう年齢的に精神障害者の母を面倒見れないので、代わりに実家に帰って見てくれないかとの事。
正直、何度かは断りましたが、私が15才まで暮らせたのも母方の祖父母の金銭的な面も含めバックアップがあったからなのも事実ですし、実家を出て行くまでしょっちゅう補導や挙句の果てには逮捕まで。そんな時も母方の祖母は文句も言わず、警察署まで来てくれました。母は精神障害者なので私の事は実の子供なのに放置でした。
そんな事情もあり、泣く泣く4年前に2?年ぶりに仕事や住居を手放し、実家に帰って2年間、精神障害者の母の面倒をヘルパーを雇わず、在宅で24時間介護しましたが、そんな母も2年前に他界しました。
となると、当然、実家は私が戻ってくるまで母1人で暮らしていたので当然全ての名義が母名義だと思っていたので遺産の手続きは楽だと思っていました。
それでまずは住居と車庫は母名義になっていたのですんなり相続できました。ビックリしたのは土地の所有者が自分の父の弟、私からすると叔父名義だった事です。
当然、私は長男の長男ですから私にこの土地を遺産として相続する権利があるのでTELで叔父と35年ぶりに話をして、返してくれと言いました。
しかし、叔父はおまえにやる権利はない。嫌なら出て行け との回答。
当然、私は弁護士を雇い、只今提訴中です。正直、こんなドロドロした話はドラマの世界だけだと思ってました。まさか自分が体験者になるとは。人間ってやっぱり怖いです。
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